気配りのすすめ

 

 日本では電車の中で居眠りをする人が多い。中には口をぽっかり開けて寝ている人もいる。外国にはあまり見られない光景らしい。働き過ぎて疲れているのか、それとも日本が平和な証拠か。

 ネコが大きな口を開けてあくびをしているとき、口の中に手を突っ込むと、あわてて口を閉じる。そのとき絶対に人の手をかまない。電車の中で口をぽっかり開けている人を見ると、おもわず同じことをしたい衝動に駆られる(まだしたことはないが・・・)。

 ところで、せっかく気持ちよく寝ているのに、その人の隣の座席に「ドスン」と座り、起こしてしまっても平然としている人を見かけることがある。 もうちょっと相手を気づかう気持ちがあってもいいのではないか、と思う。

 ある人が言っていた。「アメリカでは西海岸と東海岸とでは4時間の時差がある。だから電話をするときは常に相手の時間を気づかわなければならない。ところが、日本には時差がない。だから、相手を気づかう気持ちがなかなか育ちにくいのだ」と。なるほど、そんな見方もあるのか。

 相手の立場に立って考えてみることは社会生活の基本である。 しかし、これがなかなかできない。かく言う私も、気配りは苦手である。何か相手にゴマをすっているようで、素直に態度に表せないのだ。

 以前勤めていた学校で、気配りの非常にうまい先生がいた。体育の先生だった。たぶん、体育会系のタテ社会の中で鍛えられ、身につけたものなのだろう。お茶を出す。片付ける。率先して仕事をする。この先生のそばにいると、非常に心地よい。気配りを通して、相手に敬意を払っていることがストレートに伝わってくるのである。自ら行動するだけではなく、生徒にもこのことを厳しく教えておられた。

 ある会社の秘書の方が、客にお茶ではなく「さゆ」を出したという話を読んだことがある。前回来られた時、胃を壊していると話していたことを思い出して、機転を利かしたのだった。客にすれば、自分のことを覚えていて、さりげなく気遣ってくれる気持ちはさぞうれしかったに違いない。

 ある保護者が学校に怒鳴りこんできた。対応にあたった先生が、まずお茶を一杯出した。さらに夕方だったので、近くの食堂からうどんの出前を頼んだ。そうしたら、保護者の怒りはトーンダウンして、話がスムーズに運んだという。もちろんこうした行為は計算づくではない。相手に対する敬意があったからこそ、うまく行ったのであろう。

 相手を第一に考え、自己を第二に置く。忘己利他。 言うのは簡単だが、なかなかできることではない。生きていく上で一番大切なことは、 そうした態度を身につけ、実践できることにあるのかもしれない。

 

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